これより、すべて2007年当時の記述です。
もくじ
12日目/帰国(2007年11月27日 )
東洋と西洋を結び、幾多の民族が往来したバルカン半島。
かつて「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国家」 と称されたモザイク国家、旧ユーゴスラビア。
1980年、旧ユーゴを束ねていたチトー大統領が死去し、経済不況から各共和国/自治州が対立した旧ユーゴは国家解体への道を歩んでいく。
それは、もともとは混じり合って暮していた3つの民族が(セルビア人、ムスリム人(ボスニア)、クロアチア人)、「民族浄化」の名の元に殺し合うという内戦を勃発させた。
やがて当事者3勢力はデイトン和平合意により戦いに終止符をうつが、それは嫌々ながら妥協させられた、人工的に紛争を閉じこめた和平合意であった。
それから12年。
「和解なき和平」 の日常は、綱渡りのような危ういバランスの上で成り立っているだけなのだろうか……。
民族間の憎しみは消えないでいるのであろうか……
そもそも民族浄化っていったいなんなんだろう……
なんで殺し合うんだろう……
紛争終結後の人々の暮らしはどんななんだろう……。
それらを肌で知ってみたくここに来て、たかだか10日やそこらの時間で(近代史を)駆け下りる旅ではあったが、そのなかでかんじ(感じ・観じ)たことは「それでも生きている!」だった。
一部の民族主義者は大衆を扇動し、いとも簡単に戦争を起こさせ、クロアチア人も、ムスリム人も、セルビア人も、被害者にさせた。
そして政治に翻弄され殺し合った住人同士は、見えない境界線を隔てて、向かい合って暮らしていた。
屋根はぶっ飛び、2階部分が屋上状態になっている家々は、数知れずあった。
戦争によって受けた後遺症を持った人をも、たくさん見かけた。
地球はひとつ、だというのに……。
「戦争」と「平和」のコントラストがより鮮やかに、くっきりしないと、「平和」には気づかないのであろうか。
飛行機は無事、11月27日、午前10時30分、関西空港に着陸した。
ドブロヴニクで見た夕陽は、ほんとうにきれいだった。
同じくして、帰国したその日、自宅から見た夕暮れも、怖いまでにきれいであった。
そしてわたしの家には、屋根がある。壁もある。窓ガラスも割れてはいない。
― I do not forget it ―
旅の費用
― 旅の費用 ― *1人分
関西空港→自宅 交通費 | 1,490円 | |
合計 | 1,490円 | |
総合計 | 152,135円 | * 親子3人分(※子ども料金,重複料金を除く) 総費用 318,577円 |