これより、すべて2007年当時の記述です

7日目/ドブロヴニク(2007年11月22日)

長い時間、テラスで何するわけでもなく、ただボケ~~~としてた。
旅に出て、旅をしないでいるこんな時間が、とても好き。

カナダから来てた隣の部屋のご夫婦は、ここのSOBEでの滞在、今日で8日目だとか。

テラスでの朝食のあと、ご主人さんは読書を。奥さんは編み物をしてはった。

 

10時過ぎに起きてきた息子が朝食を終えると、わたしたちは旧市街へと出かけた。

 

テラスで食べる朝食

 

朝の光を浴びるテラス

 

旧市街の入り口、ピレ門から中心部ルジャ広場まで続く目抜き通り・プラツァ通りは、かつては水路だったのを埋めて造られた道。

7世紀、スラブの脅威から逃れたかったローマ人は、陸側に暮らすスラブ人地区との間に水路を引き、岩礁に移り住んでいたが、13世紀に入り、両者は結束した。

そして自治都市を築くにいたり、水路を埋め、街をひとつにして城壁を囲んだ。

 

それがドブロヴニクの始まりで、いまでは城壁内を旧市街としているが、元来はプラツァ通りの南側が旧市街だったそうだ。

 

プラツァ通り

 

通りの名前はわかんないけど、南側のとある路地北側のとある路地

 

北側のとある路地

 

南側にたくさんあったトンネルの路地

 

昨日はダウンしたため、城壁半周したあたりからは景色楽しむこともなく、ただひたすらベッドを目指して歩いてた。

ので今日、再度城壁巡りをしようとしたのだけど、いまだと昨日とほぼ同じ時間帯に歩くことになる。
どうせなら夕暮れの風景が見たく、先に、城壁によって囲まれている旧市街の散策を楽しんだ。

 

思ってたより、うんと小さい。ピレ門から港まではあっという間。
手にしてた地図はポケットにしまい込んだ。

 

プラツァ通りの左右には、中世の面影を伝える狭い路地が網の目のように延びている。

それらの路地に誘われるがままに歩いていると、響いてくるのは住居者たちの生活の匂い。

 

民家の窓

 

路地裏の日常

 

あちらでもこちらででも洗濯物が干され、少し開いてる窓からは喋り声が聞こえてくる。

庭の葉は紅葉し、食べ頃のミカンがなっている。

教室の窓から中を覗くと、後方の席の子は机に突っ伏して居眠り。いずこも同じだな。

 

バスケットをする生徒たち

 

旧市街にあるスクール

 

港には、端正なマリーナに高速クルーザー、、、海辺には上品なヴィラが建ち並び、、、

世界遺産に登録されているドブロヴニクは、クロアチア屈指の観光地で、シーズンピークのときなら 世界各国からの観光客で溢れ返る。

 

スジル山裾にひろがる新市街をみる

 

そんな観光客を魅了してやまぬ旧市街は、13世紀のはるか昔から営まれてきた、特別でもなんでもない暮らしが今も息づいていた。

それは、誇りが成せるのかな。。。

 

 

1991年6月、旧ユーゴから独立宣言したクロアチアであったが、クロアチア共和国の民族主義政権は非クロアチア人への文化的な自治等の権利を剥奪した。

これに対し、「クロアチア共和国内に住むセルビア人の保護」 を目的に独立を認めない旧ユーゴ連邦軍(人民軍)は侵攻し、クロアチア紛争が始まった (~1995年8月)。

 

「世界遺産の街は攻撃しないだろう」……、市民の祈りは届かず、同年10月、最初の砲弾が落とされた。
12月6日に浴びた2000発の砲弾・爆弾は、建物の約8割を全半壊し、旧市街は火の海と化し、崩壊状態に陥った。

 

破壊されたままの家跡

 

窓ガラスは割れ、ひび入ったままの家

 

内戦終結後、市民は再建に着手していくのだが、遠めには茜色一色に見える屋根瓦。

そばで見ると、どれも微妙に色は違う。かろうじて残った爆撃前の瓦を出来る限り使用し、不足分に新しい瓦を組み合わせているのだそうだ。

 

またそれは瓦だけではなく、石材も破壊前と同じ物が使われ、壁の彫刻も寸分たがわず修復されている。

内戦終結より12年が経った現在、修復作業をしている箇所は、まだまだあちこちにあった。破壊されたまま手つかず状態の建物も、いっぱいあった。

よく見れば、当時の飛散した爆弾の跡が、家々の外壁や石畳にいまも生々しく残っていた。

 

修復中の建物

 

灯りがついた夜のプラツァ通り

 

中世の面影を残す街並みは、たまたまなんかじゃないんだな……。

街並みは、大震災、火事、侵略などで破壊されるたび、粘り強く建て直された。
城郭には「どんな黄金であろうとも自由を売るべからず」 と、この街のモットーが掲げられている。

「アドリア海の真珠」と称されるドブロヴニクの真の美しさは、自由、そして珠玉の街並みを守り抜く、彼らのイナットなのかもな。

 

 

城壁の入り口に、入場時間は 「10:00 - 15:00」 と書いてあったので(4月~9月は9時~19時のようです)、旧市街散策後のんびりと昼食をとり、14時20分ごろ入り口に行くと、「もうおしまい!」って、受付けのおじさんが言う。

えっ? なんで? 15時までじゃないの?

 

どうやら入場が15時までってことではなく、15時には閉門するって意味のようで、つまりは、正確には何時なのかわからないけど、入場受付は、およそ14時頃までじゃないかな。

さぁあっと見て歩くだけなら1時間ほどで一周できるけど、写真撮ったり、立ち止まって景色を堪能したり、、、 となると2時間、、、 3時間、、、は、ゆうに要すると思います。

 

昨日も歩いたことは言わないで、(^^;

「あした、ドブロヴニク、出る!」
「見れるの、今日だけ!」
「ここ(城壁巡り)歩きたくて、日本から来た!」
「見れないなんて、あまりに悲しい!」
「まだ40分ある。どうかお願い! 入らせて!!!」

片言の英単語とジェスチャーで、すがるようにお願いしたけど、受付のおじさんは「今日は終わり!」の一点張り。

そんなぁ~~~。

 

意気消沈した我ら3人、とぼとぼと階段を降り(受付は階段上った所にある)、 降りたところで諦め悪くしょぼくれていた。

2、3分ぐらい経ったかな? 受付のとこにいてはったもう1人の男の人が降りてきた。そしてわたしたちに 「ついて来い!」って言いはる。

なんだ? なんだ? なんなんだ? どっかに売られるのか? 警戒心バシバシ出しつつも、ついて行った。

 

この人、城壁の随所々にある門に鍵をして閉めていく業務の人やった。

城壁の真ん中あたりにある通用門みたいなところから上がって城壁歩道に入っていき、観光客がいないか、いれば、 「さあさあ、もう閉めるよ。行った、行った」と急き立てて、順次閉門していく。

 

鍵を閉めていくおじさん

 

城壁は有料で、途中ある検問所(?)では受付で買ったチケットをみせないといけないんだけど、今日は持っていないわたしたち……。

検問のおじさんにバレないよう小芝居までうってくれ、スタートラインとなる入り口の所も通過し、もと入ってきた通用門(?)を降りていった。

 

夕暮れがちかくなってきた旧市街を要塞から眺める

 

ようは、城壁一周できた!!

おじさん! お兄さんカナ? ありがとう!!

 

城壁巡りは、大人50Kn/子ども30Kn なんだけど、特別割引? 50Knだけ渡した。

ポケットマネーにしはるんやろな。

 

写真では分かり難いかなぁ~虹がでてんねん!

 

見たかった夕暮れが見れた。

街並みは、太陽や雲の流れでコントラスト移ろい、紺碧のアドリア海は黄櫨染に姿を華した。

 

費用、泊まった宿

― 泊まった宿 ―

BEGOVIC BOARDING HOUSE(トイレ、シャワー、キッチン、冷蔵庫付き)

 

― 旅の費用 ― * 1人分。1Kn = 21円換算

ドブロヴニクの市バス 8Kn(約168円)
昼食(レストランにて) 38Kn(約798円)
水(500ml) 3.99Kn(約84円)
城壁巡り(ポケット分) 50Kn(約1050円)
アイスクリーム 7Kn(147円)
夕食(スーパーにて) 10.39Kn (218円)
水(1.5リットル) 4.89Kn (103円)
合計 2,568円

 

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