【旧ユーゴスラビアの紛争跡を歩く】② サラエボ、モスタル(ボスニア)、ドブロヴニク、ザダール(クロアチア)観光編

こんにちは、よっぴーです。

コソボ紛争 に関心を抱いていた息子の影響をうけ、

エミール・クストリッツァ監督の映画『アンダーグラウンド』『パパは、出張中!』『黒猫・白猫』を観て、

木村元彦さんの著書『誇り ドラガン・ストイコビッチの軌跡』『悪者見参 ユーゴスラビアサッカー戦記』『オシムの言葉 フィールドの向こうに人生が見える』を読んで、、、しているうちに、

旧ユーゴの人々にすごく興味がわきました。

で、それならばと、

 

2007年11月16日 から 11月27日 にかけて、

  • ベオグラード (セルビア)
  • サラエボ、モスタル (ボスニア・ヘルツェゴビナ)
  • ドブロヴニク、ザダール、ザグレブ (クロアチア)

を、親子3人(息子16歳、娘11歳)で訪ねた、当時の旅日記です。

 

 

1日目〜4日目(ベオグラード、サラエボ滞在)はこちら↓↓↓

 

 

9日目〜12日目(ザダール、ザグレブ滞在)はこちら↓↓↓

 

これより、すべて2007年当時の記述です

5日目/サラエボ、モスタル(2007年11月20日)

いくらなんでも早すぎるだろう、今朝は2時半に目が覚めてしまった。

夜空を見ようとテラスに行くと男の人が居て、その彼、ドイツの人で、ロシアを東に行き、南下してアジア、中近東と時計回りに渡り歩き、2年が経ったそうだ。

「一周したら、旅を終えるの?」と尋ねると、「南米に行こうかと思ってる」と言う。

南米! その中でも是非にボリビアとペルーに行きたいわたし、、、世界地図を広げ、話は盛りあがった。

 

あ、盛りあがったと言っても、会話自体が盛りあがったのではないけどね。

なんせ「一周したら 旅 終えるの?」にしたって、言えてるのは、「とらべる。えんど。ゆあーはうす。りたーん?」 ですから ^^;

彼の理解力のおかげです。忘れません、ありがとう。えぇ~~っと……名前、なんやったっけな (爆

 

ついさきほど眩しいばかりの光を射したかと思いきや、太陽がお月様に見えるほどの濃霧の中、バスはモスタルに向け、定刻9時に出発した。

しばらくして小さな町(村かな?)を通過するのだが、みるも無惨な姿をした家々が窓の外、スライドしていく。

やがて自然は山間の農村地帯へと風景を変えていくが、破壊された家々は、どこを走ってもその車窓に現れた。

 

キリに包まれるサラエボ。この写真、白黒で撮ったんとちゃうで

 

濃い碧色をした川に沿い、ディナール・アルプスの渓谷(絶景だよ!!)を抜けると雪はなく、紅葉した樹々に秋の光が射していた。

モスタルは雪は降らないそうで、かわりに冷たい雨が降るそうだ。

 

モスタルのバスターミナルに客引きに来ていたSOBEの人、「バスターミナルから徒歩1分。値段は3人で40KM(一泊)」だと言う。(後でさらに安くなる)
まぁ1分と言うてはるから、実際は5分ぐらいか? とりあえず部屋を見せてもらうことにした。

1分かからなかった。部屋はきれいだし、ベッドも3つあるし、バスタブまである。今夜の宿は決まった。

荷物を置き、さっそく町へとくりだした。

 

モスタルの宿 LENA MOSTAR (ROOMS Lena&Rada)

 

モスタルの宿

 

* 支払いはマルカよりユーロ払いのほうが安くついたので、ユーロで払いました(1ユーロ=2KM)。

** SOBE(ソーベ)とは、ゲストルームとか民宿みたいなもので、部屋数のあるお宅や、子どもが大きくなって使わなくなってしまった部屋などを旅行者へ貸し出していて、ツーリストインフォメーションでも紹介してもらえる。

 

 

バスターミナルから石橋のスタリモストまでは、ゆ~っくり歩いて15分ぐらい。

ただその間、観られる!
チラ見なんてもんじゃない。ガン見でだ。

先に、明日のドブロヴニク行きのバスチケットを買いにバスターミナルに行ったのだが、そこに居てた人たち全員に! といっても過言ではないぐらい、凝視された。

そのあとつづく散策中もだ。歩いていてもカフェでも、とにかく凝視されるのである。「見られる」 のはベオグラードザダール(クロアチア)でもそうだったんだけど、ここモスタルは半端じゃないガン見だった。

 

そして 聞こえてくるのは、人をバカにしたような口調で吐く「チネーゼ」。
ここでは中国人がこころよく思われていない、ということは知っていたが、それでかな?

まっ、うちらが何人か……、中国人でもフランス人でも、お好きなようにおもってくれ。イヤ どこをどーとっても フランス人には 見えへんやろ w

 

それよりも「チネーゼ」 って……イタリア統治時代の名残りでかな。モスタルではイタリア語が通じる?

英語より座布団1枚分だけイタリア語のほうが話せる(?)娘とわたし。試しにレストランに入ったとき「おすすめは なに?」とか、「トイレはどこ?」とか、「お勘定お願いします」とかとか、イタリア語で言うと通じた。

 

けど、「ぽてと」は通じひんかったわ。
メニュー見ながら注文していて、「あ、あと、ぽてと」って言うたんやけど、語尾下がる関西弁のまんま 「ぽてと⤵️」って言うたら、「ぁはぁ~ん?」って言われてもた。

会話本に載ってる絵を指して「ポテト」って言い直したら、「あぁ~~~OK、OK! ポテトネ」って。

フンだ。マクドナルドは「マック⤴️」やのぉて「まくど⤵️」であるように、ポテト⤴️は、ぽてと⤵️やん。

まぁ、そんなことはさておき……。

 

本日の昼食なり。奥のはボスニア名物チェバプチチ

 

それにしても、穴ぼこだらけや。

両方の町を見て受けた印象は、

サラエボでは、「銃弾の痕、痛々しい民家が(まだまだ)あるんや…」 だったが、
モスタルでは、(再建された建物は もちろんあるんだけど)「銃弾・砲弾の穴がない建築物、ないやん!」だった。

 

廃墟となったままの建物。もとは何屋さんやってんやろな

 

人、住んではる家。写真うしろに見える家もすごかった

 

ここも人 住んではって、門から玄関までキョリあるんやけど、その玄関や壁も蜂の巣

 

この家は廃墟なんかな?って思ったら奥の部屋で生活してはった

 

屋根も壁も窓ガラスもない こうゆう家や建物はそこらじゅうにある

 

首都サラエボから南東に約70kmのところにあるモスタルは、三方がディナール・アルプスの山々に囲まれ、緑乳色した息をのむほどに美しいネレトバ川が町の中央にとうとうと流れている。

川を挟んで在る2つの町は、石造りのアーチ橋 「Stari Most/スタリモスト」 によってつながれ、人々は橋を行き来し、何百年もの間、宗教を超えて多民族共存の町として暮らしてきた。

(** 下の2枚に写ってる橋じゃないよ)

とうとうと流れるネレトバ川。めーーーちゃくちゃ きれいやった

 

石づくりの町並み

 

この調和を打ち砕いたのは、20万人以上もの死者、200万人以上の難民・避難民を出したボスニア紛争である。

ボスニア・ヘルツェゴヴィナでは、異なった民族同士の結婚はごくあたりまえのことだったので、各民族に分かれて戦うということは、すなわち隣人殺し、兄弟殺しを意味する愚行だった。

 

ブラツェ・フェイツァ通り

 

西側より尖塔を望む

 

モスタルは、ボスニア紛争の被害が最も大きかった場所の一つで、1993年・夏にモスタルへ入った国連スポークスマンは「モスタルのムスリム系住民居住地は、サラエボより悲惨な状態」と語った。

だが国際社会は、悪玉のセルビアが関わっていない地域での出来事だったゆえ、クロアチア系勢力制裁を行わず、事実上無視した、そうだ。

(* 当初モスタルでのボスニア紛争は、セルビア系勢力vsクロアチア系勢力+ムスリム系勢力(単独ではセルビア系勢力には勝てないため軍事同盟を結んだ)で戦っていた。
だがクロアチア系勢力+ムスリム系勢力に負けたセルビア系勢力がモスタル市内から撤退すると、モスタルをクロアチアの領土としたかったクロアチア系勢力はムスリム系住民(ボリビア人)の追い出しを図るがため(民族浄化)、ムスリム系住民居住地に猛攻撃をかけた)

 

モスタルを死守するムスリム系勢力クロアチア系勢力との戦闘がネレトバ川を挟んで行われ、そのあおりで1993年11月、スタリモスト橋は破壊された。

 

世界遺産のスタリモスト橋。破壊された石を川から回収し、「平和と民族和解の象徴」として再建が行われることとなった

 

ユネスコの協力で復元されたのは2004年になってからであるが、紛争以前のように橋を行き来することは今はもうない。

* 東岸が旧市街 (ムスリム系居住区、8割がムスリム人=ボスニア人)、西岸が新市街 (クロアチア系居住区、9割がクロアチア人)となっている

 

橋のたもとには、こんな石碑があった。

 

 

モスタルでも素敵な出会いがあった。

息子と娘が笑い声をあげながら、空になったペットボトルでキャッチボールごときをして遊んでたのを、はじめは頬緩ませ見てただけの絵画屋のおじさん。

そのうちに「こーやって投げてみたら?」「こう受け取ってみたら?」 と次々に新アイデアを提案しながら、おじさんも加わってきた。

 

このときの模様や言葉のやりとり、書くと長くなるのでカットしとくが、

「そうか! はるばる日本から来てくれたのか。なんという喜びだ、ありがとう!!」
「しかも最高のプレゼント(=笑顔)までもらった。ありがとう!!!」(適当訳)
「お返しをさせてほしい」

そう言って、娘には指輪を。息子にはピンをくれた。

 

志茂田景樹に似たこのおじさん、すっごくアートな人やった。

いただいたプレゼントの渡し方も、お店の前にある階段を使ってまるでロミオとジュリエットの劇仕立てやって、写真 撮らせてもらう時も、ポーズとりはるまでの仕草がオペラ調で、ビデオに撮っておきたかったよ。

 

アートおじさん

 

帰国して、いまわたしの携帯の待ち受け画面はこのアートおじさんにしてるんだけど、携帯開くたび笑ってしまい、そして「さぁ! がんばろぉ!!」って活がはいる。

最高のプレゼント(生きること。生きていること。)もらったのは、わたしのほうやった。

 

 

SOBEでは、レーナさん一家にコーヒーとケーキをご馳走してもらった。あ、みかんもよばれた。

「わっ、ケーキまで……(恐縮したトーンで)ありがとう」って言うと、「5日前に息子のアンドレの5歳の誕生日やって、そのときの残りだから気にしなくていいよ」。

いや、違う意味で気になったが、腹は壊さなかったw

 

「名所」よりも「暮らし」に興味を抱くわたしにとっては、モスタルに住む人のお宅にお邪魔させてもらえたことは、すっごくよかった。

次々に自分のお宝、それとなしに披露してはわたし(たち)の反応うかがってるアンドレ君。国はちがえども、子どもはいっしょだな。好奇心にあふれてる。

 

何個めかに持ってきたサッカーゲームの玩具、「あっ!  それやりたい!!!」

アンドレ君との熱戦は、4勝3敗、私の勝ち。エッヘン。

 

すぐ横では、レーナがダーナ(おばあちゃん)の毛染めをしている。アンドレ君の妹イリーナちゃんと、息子・娘は、テレビを見入ってる。

お返しに鶴を折って置いてきた。

モスタルの地に、なんでもないような日常がつづくことを祈るばかりだ。

 

費用、泊まった宿

― 泊まった宿 ―

LENA MOSTAR (ROOMS Lena&Rada) (トイレ・バスタブ付き)

 

― 旅の費用 ― * 1人分。1KM = 82円換算/1ユーロ = 133円換算

バス (サラエボ→モスタル) 14.50KM(約1189円)
荷物預かり (上記バス) 1KM (82円)
昼食 (レストランにて) 7KM (574円)
夕食 (スーパーにて) 1.2KM (約98円)
宿泊 (トリプル3人分/1部屋) 17ユーロ (約2261円)
合計 4,204円

 

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